ものをつくるということは、誰かを愛するということ。

子どもたちには「デザインとは誰かのために何かをつくること」だと授業なさっている高田さんですが、高田さん自身にとっては、ものづくりとはどんなことなのでしょうか。

高田:私は、「 ものをつくるということは、誰かを愛するということ」と、(故)清家清氏、加賀武見氏、ニコラガリッツィア氏、アンドレアブランヅィ氏から実践で学びました。
「物」というものは、誰かのために生まれた道具。それはシロカネの製品を見れば一目瞭然です。たとえば、ぐいのみですが、面取りひとつとっても、手を怪我しないように工夫していますし、テーブルが傷つかないように、器の裏面はざらざらしていません。また、しっとりとした表面仕上げは女性の手にもやさしく配慮されています。器の飲み口は、口当たりが心地よくなるよう、ひとつずつ研磨を施しています。お酒をいただく際に、口をすぼめなくても飲めるようにと、角度と口径を広く造形し、呑む人の所作まで考えています。

私は、人の役に立つものが、使い方を考えて生み出され、より美しく人々に使われ受け継がれていくことが、次の世代を育て、私たちの国を育てると思っています。

一緒に仕事をしている先輩は「製造業でバリがあるものを製品化する事は、飲食店が食中毒を出すようなものだ」といいます。私もそう思います。使う方への愛情があれば、まずその方に怪我をさせるようなものはつくれないし、つくるはずがない。ものづくりは愛がないとできないことだと思います。
子どもたちには、こうしたものづくりのスピリッツを通して、周りの人に愛情や思いやりを持つことの大切さを話していきたいです。

「ミラノサローネに出展してから今日までの苦労話」ということですが、授業の中で、子どもたちに話しているエピソードがあればお聞かせください。

高田:2005年ミラノサローネ出展の時、主催者側に手違いがあり、搬入当日の早朝、私たちは展示会場へ入ることも、展示物の搬入も許されませんでした。
会場の入り口の門番は取り合ってくれないどころか、「日本人は出直して来い、明後日だったら中に入れてやる」と冷笑される始末。明後日と言えば展示会の開催初日。とても準備が間に合いません。
マイナス4度の寒空の下、私たちは絶望の淵に立たされました。

その時、同行していたデザイナーの加賀武見さんの「会場にいる関係者ならばわかってくれるはず、ひとりでも中に入ることができれば」という言葉に、私たちは4メートルもある会場のフェンスを乗り越えることを決意。4人で肩車をし、加賀武見さんを一番上に乗せ、なんとか加賀さんを会場に侵入させることに成功しました。

しかし、会場に入った加賀さんが、関係者に事情を説明するも、今日の仕事は門番に任せているからの一点張りで、聞き入れてくれる人は誰もいませんでした。
登録手続きは完璧なのに、まさかこのような事態になるとは。
私は、まだ色濃く残る人種に対する偏見と差別を、この時まざまざと感じ、心が折れそうになりました。しかし、私には、イタリアミラノまで一緒にきた仲間、日本で朗報を待っているひとがいる。「高岡の伝統技術は、デザインの本場ミラノでも通用します」と言いたい。そのためにも、なんとしても展示会をきっかけに販売を成功させる。ここであきらめるわけにはいかないと、強く自分に言い聞かせました。

時間は14時を過ぎ、搬入時間はあと5時間しかない。
私と加賀さんは、鉄条網越しに会場をにらみながら作戦を変更。
加賀さんは、会場にいる搬入を終えたばかりの輸送トラックの運転手に直接交渉し、トラックを会場の外へ。
門番から見えなくなる1ブロック先でトラックを停止させ、 私たちは荷台に全ての搬入物と什器を積み、
私たち仲間6人も毛布にくるまり、
荷物に隠れて決死の覚悟で乗り込みました。

トラックは外周をゆっくりと一周し、
門番のいる会場入り口で停車。検問の間、
荷室の中は真っ暗で何も見えず、
聞こえるのはディーゼルエンジンのアイドリングと、
門番の持つ警棒の音だけ。5分だったか10分だったのか、
とても長い沈黙が続きました。
その後、またトラックはゆっくりと発進、
坂を低速で上り始め、ほどなくして再び停車しました。
その時、突然、荷室をばんばんとたたく音が。一瞬、皆、身を固くしました。
加賀武見さんでした。
「検問を無事通過。アンディアーモ!(イタリア語で行くぞという意味)」
その言葉を合図に、私たちは一斉に荷室から飛び出しました。トラックの運転手に頭を下げ、会場に突入。軽い荷物も重い荷物も、壁紙も什器もテーブルも、どうやって運んだのかわからないくらい物凄い勢いでブースに。本当に無我夢中でした。
こうしてみんなで力をあわせ、搬入は5時間で無事完了しました。

ミラノサローネでそんな苦労があったとは。毎年、ミラノサローネの会場には誰もいない空いているブースがあると、私も聞いたことはありましたが、そんなことが現実にあるのですね。出展することができて本当によかったですね。ミラノサロ―ネではどんな成果がありましたか。

高田:ミラノサローネでは、たくさんの専門家、多くのスペシャリストに私たちの製品を評価いただきました。有名家具ブランド「モルテーニ」のアートディレクター、ニコラガリツィア氏に製品をお取扱いいただき、なんと後日、氏は自ら高岡にまでいらしてくださいました。後に巨匠アンドレアブランヅィ氏も高岡に来てくださり、氏の作品も私たちのコレクションに加わることになりました。イタリアでたくさんの方々との交流が生まれ、私たちのブランドが育ったのは、あの時があったから。今は、あきらめないでよかったと心から思えますし、この経験が、今も、私の原動力となっています。

高田さん自身も、この経験によって成長なさったのですね。子どもたちが目を輝かせて聴き入る様子が見えるようです。このエピソードを通して、高田さんが伝えたい子どもたちへのメッセージとはどんなことでしょうか。

高田:この時、ものづくりとは、「強い意志を持って、最後まであきらめずに、誰かのために役に立つものをつくりあげること」であると、私は改めて教えられました。
使う人に幸せになってもらいたい、心からの笑顔になってほしい、そんな誰かを思う愛こそが、「物」を生み出す力となる。
この世界には、自分が変わらなければ、何も変わらないことがまだまだたくさんあります。実際、自分からは何も変わろうとしない人もたくさんいます。だけど、子どもたちにはそんな大人にはなってほしくない。
私は子どもたちにはいつでも夢を持っていてほしいと思っています。
夢があれば、その夢をかなえるために、変えたいことや変えなければならないことが生まれる。それが「物」を生み出す力となり、世界は変わり、夢はきっとかなう。だから子どもたちには、いつも夢に向かってがんばる気持ちを忘れないでほしいと思っています。

その後、高田さんの商品は、2005年にイタリアミラノのモルテーニ社のキッチンツールセレクトカタログに選ばれ、ヨーロッパ各地に紹介されていきます。2006年には、モルテーニ社が日本に代理店を設置し、高田さんの商品が逆輸入という形で日本に紹介され、ヤマギワなど、多くのハイクラスデザインショップなどで認知されるようになり、多くの専門家から評価されることになりました。2009年、高田さんはフランスのパリメゾンエオブジェにも出展。現在、ミラノ、パリ、ロンドン、ジュネーブなどで販売が継続されています。

(文・編集/ 蜷川 啓子)